『片瀬のぞみだより』3月号

2015.03.20

3月主題の聖句
「羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。
自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。
羊はその声を知っているので、 ついて行く。」

ヨハネによる福音書10章3~4節
園長 西 田 直 樹

 2014年度の最後の月となりました。あっという間の一年間でしたが、
そこには笑う・泣く怒る・許す・がんばる様々のドラマがあり、成長の痕跡が
くっきりと浮かび上がってきます。
振り返ってみると着実に心も体も大きくなったことを実感しています。
 最後の聖句はヨハネによる福音書10章3~4節です。
「門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を
呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。
羊はその声を知っているので、ついて行く。」
 イエスさまの国ユダヤ民族は遊牧民族でした。
わたしたちがペットとして犬や猫をかわいがる以上に羊飼いは羊・山羊をかわいがり、
育てていました。それは生活の糧を得ることでもあったのです。
優雅な牧歌的雰囲気はあっても命がけで羊・山羊を守り、育て、育てていたのです。
 その一例が夜、囲いに中に入れてあった羊を朝一頭一頭その名前を呼び、
連れ出したのです。もちろんその時、病気はしていないか、怪我をしていないか、
栄養状態はどうか目診したのです。
何百頭もいる羊に名前を付けて、その名を覚え、名前と顔とを一致させることができたのですから、
驚きです。11節で「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」ともあります。
羊を守り狼と戦い命を落とすこともあったのでしょう。
羊と羊飼いとは深い信頼関係で結ばれていたのです。
それは神様・イエスさまとわたしたちとの関係でもあるのです。
深い深い信頼関係で結ばれているのです。
 幼稚園の子どもたちは時々「園長先生!」と呼びます。
別に用事があって呼んでいるのではなく、「私のこと見ていて」というアッピールなのです。
「ハーイ」と答えると安心してニッコリ。
名前を呼び合う関係それは互いの人格を認め合う関係です。安心できる関係です。
 赤ちゃんは生まれてすぐは目は見えないのですが耳は聞こえています。
胎内の時から聞いていた母の声をちゃんと覚えているのです。
話しかけてくる母の声に安心してスヤスヤと眠ります。
名前を読んで下さる声、耳慣れた声、それは何にも勝る心地よさを覚えるのです。
声の響きは心の響きなのです。
 わたしたちと神様・イエスさまとの関係はその様な関係なのです。
安心できる心地よい関係なのです。
 今年度を閉じるにあたり、子どもと教師との関係がこのような深い深い信頼関係を
造り上げてきたのだろうか? 互いの人格を認め合う関係を結んできただろうか?
 心地よい、安心できる関係を築き上げることができたであろうか? 
としきりに問い返す今日この頃です。
胸を張り大手を振って「はい、できました!」と答えられたら・・・と思います。
不十分、不完全、途上中、欠けの多い自分であったと反省しきりですが、
そんなわたしと神様は関係を結んで下さっている、
その事実に励まされて来年度もがんばろう!と思っています。
ありがとうございました。